大義とはなんぞや。
屍の上に築くことができるのは、感情の欠片もない冷徹な事実だけだ。
これを歴史と言うのかも知れない。
つくづくヒトは争いが好きなのだと思う。
生きとし生けるものにはすべて生存本能があるから、生きる手段として戦わねばならぬときもある。
でも、ヒトは、それを回避して生きていけるだけの知恵を持ったのではなかったか?
いや、ただの知恵で智慧じゃないのだったな。
お隣さんに作り過ぎた煮物を分けてもらって、それをありがたく頂戴し、別の機会にどこかで買ってきたお土産をあげて…、そんな小さな営みを大切にしながら日々を生きていけば、無用な諍いなど起こらないと思うのだが。
狩猟採集しながら生きてた頃が、もしかしたらいちばん幸せだったのかも。
農耕のために定住し、土地を持ったから、所有という観念が生まれ、支配するようになり、そこから何かどろどろした関係性が生じて、今にいたるみたいな? いや、歴史学者でも人類学者でもないから知らんけど。
人類はどこへ向かってるのか。
少なくとも、自分の身近に限っては、たわいない喧嘩の範疇にとどめるようにしたいものだ。
〜ウクライナとロシアの報に寄せて。
※電線がちょい邪魔だが、電気を運んでくれるものだから甘受しよう。
⭐︎B2