超人ランナーの見据える先は。
二週続けて過酷なレースに挑むアスリートたちのドキュメンタリーを見た。
一つは国内で、富山から静岡(掛川かどっか)まで連なる山脈を8日間以内に縦断するというもの。
もう一本はパタゴニアの原生林あり高所ありの悪路を46時間以内に走破するというもの。
どちらも、内容を聞いただけで「おえーっ」とえずきそうになる。
どうしてこんな肉体を苛め抜く競技に参加しようと思うのだろう。
中学・高校時代、マラソンどころかスポーツテストの1000メートル走ですら嫌で嫌でたまらなかった自分からするとまったくもって理解に苦しむ。
(ちなみに某友人は、1000メートル走の前日にわざと階段を踏み外して捻挫し、まんまと欠席こいたという……。だが、後日補講で走らされたので、怪我した意味があったのか別の意味で理解に苦しむ)
それでも心惹かれて見てしまったのは、やはり彼らの挑む理由を知りたかったからだろう。
スタート時、彼らは実に意気揚々としている。
これから先、想像を絶するほどの苦しみが待っているのに、お祭りに参加してるかのようだ。
(ある種、お祭りなのだろうけど)
でも、レースが進むにつれて、明るい顔は苦悶の表情にとってかわり、見てるこちらが辛くなる。
もうリタイヤすりゃいいじゃん、とか思ってしまう。
そこまでやれば立派だよ、というか、参加を決めるだけですごいよ、あんたたち。
それだけで尊敬に値するよ……。
それでも彼らの多くは止めようとしない。
ぎりぎりを超えるところまで止めようとしない。
その姿は美しく、果敢で、でもそれ以上に不可解だった。
まだやれる。まだ走れる。
でも、何のためにやるのか、走るのか。
やっぱり自分にはよくわからなかった。
パタゴニアのレースで、最年長(多分)の59歳の弁護士さんが、「走るのは人生と同じ。途中でやめることはできない」と言っていたのが印象的だった。
☆B2