ビバ!ここはどこじゃ。
I have no sence of direction.
先日、某セミナーに出席するため、とある場所へ出かけた。
とある場所は都会のど真ん中にある。大きな道路が縦横に延び、行き交う人の数も甚だしい。人も歩けば人に当たるどころか突き飛ばされる。こんなところでスマホ見ながら歩いてる人は、空中で綱渡りしながらけん玉やってるようなものだと思う。
左右どこを見てもビルだらけ、車だらけ、人だらけ。
土地勘のない者にとって、そこはまさにラビリンス。
宇宙の彼方からはるばる地球にやってきたハルバル人のように、目的地までどうやって辿り着いたらいいものか、まごまごしながら辺りをうかがうのが哀しき方向音痴人間の性である。
しかし、まごまごキョロキョロする時間は実のところ、ほとんどない。
そんなことしてたら、四方八方から向かって来る人々に障害物として認識され、睨まれるか押しのけられるか挙動不審者として通報されるかのどれかになる。
従って、この日も私は、地下鉄の駅から地上に出ると、頭に叩き込んだ地図を思い出しながら、こっちだろうと思しき方向に歩き出した。
案内では徒歩3分。
……3分。
微妙である。
徒歩1分でも迷うのに、3分ってどうなんだろう。
だが、案内の地図によると、びっくりするくらい単純な道である。
まるで、これ以上詳しく書く必要はないと言い切っているようだ。これで間違うなら帰ったほうがいいよと言われてるような気がする。
だが、地図とは、適切に道を案内してくれるガイドさんみたいなものなのではないか。
荒波をかきわけて進む船が頼りにすべき羅針盤であり、南十字星であり、親切な通りすがりの空飛ぶ円盤に等しいものなのではないか。
なればこそ、たとえ一本道だろうが、目印くらい書いて欲しいと切に思う。
案の定、道に迷い、スマホででっかく地図を引き延ばして某コンビニがそばにあるのを見つけ、ところがその某コンビニが見つからなくて同じところを何度も行ったり来たりし、挙げ句の果ては、地下鉄から地上に出てきたその出入口のすぐ横っちょにそのコンビニがあるのに気づいて間抜けな自分に憤り、ようやっとセミナー会場に着いたときには、開始時間10分前を切っていた……。
地図に限らず、不特定多数向けに発信する案内というものは、字が読めるようになった子どもに教えるのと同じくらい懇切丁寧な内容にしないと駄目だと思う。そこまでして初めて公益に資すると思うのだが、どうだろう?
B2:単に自分の方向音痴を正当化したいだけという話もある。