非情なる決断のときは迫る!:後編
(つづき)
先生の話が進むにつれ、どんどん口数が少なる私。
視線は、ボルトが取り付けられた歯の模型に釘付けである。
これやんの? ほんとにやんの???
「あのー、矯正やらないでこのまま放置してたらどうなります?」
「将来的に、まず奥歯がだめになります。そうすると前歯はその分おりてきますが、前歯だけで噛もうとするので、今度は前歯が押し出されてこんな感じに……」
そう話しながら、先生の重なった両手の先っちょが開き気味にどんどん前のほうへ。
つまりそれって、出っ歯がひどくなるってこと!?
イヤミ先生状態になるってこと!?(シェーっ!)
「奥に入れ歯を入れようとしてもうまく入らない。インプラントなどの義歯でも高さがないからうまくあわず、難儀することになって結局やっぱりモノがちゃんと噛めないという可能性があります」
「でも、それはうーんと先の話ですよね」
「70歳くらいとか、まあ・・・ごにょごにょ・・・」
それほど遠くもないが、まだ少し遠い未来の可能性。
そこで考える。
そもそも、そこまで生きてるか、自分。
いやいや、矯正中に昇天ってこともないわけじゃない。
若くないのだけが取り柄だからな(謎)。
ならば、辛い治療に敢えて挑まなくても・・・。
「検査だけで治療はしなかった人もいます?」
「僕が知る限りではいません。ここに来る人は何らかの治療を求めていらっしゃるので……」
まあ、そうだろうな。
ここ、大学病院だし。町の個人開業医を選ばないということは、その時点でそこそこ難しい症状を抱えているということだろうし。
「僕、同じボルトの説明を今週4人にしましたよ」
「その中に私と同じ年代の人っていました?」
「うーんと、いません。ただ、十代の人にはこの治療はしません。骨がまだ柔らかいので向かないんです」
「ほおー・・・。あのー、私くらいの年齢で矯正する人って結構います?」
「ああ、いますよ。年齢は全然関係ないです。僕、今月、70代の人の矯正始めますよ」
思わず絶句。
70代で矯正???
「そういう年代の方の矯正は、残っている歯をいかに守るかというところに重点が置かれるわけで……」
それこそ、矯正中に何が起こるかわからないのに(失礼)、挑もうとするその根性に敬服するよ、マジで。
「あと、舌ベロの訓練も必要になります。今現在、舌で食べ物を上顎に押し付けてすり潰して食べてると思いますが(確かに)、その癖が抜けないと結局前歯を押しちゃってまたもとに戻っちゃうんで・・・これは本人の努力が必要です」
つまり、今も私は悪化の要因のひとつとなっている癖を日々繰り返して強化しているともいえる。
「……手術という選択肢はないです」
と、私は言った。審美的効果は別にどうでもいい。それよりも負担のほうが大きい。
「僕もどちらかといえば、ボルトを勧めます。全身麻酔や入院は負担が大きいですし」
「しかし、ボルトも……うーん……」
「小さいほうのボルトでもいけるかも知れないけど……」
「でもボルト。うーん……。とにかく、普通の矯正方法ではダメだってことですね」
「そうです。それだとあまり意味がないことになってしまう」
懊悩する私の脳裏に、ふと横切ったものがあった。
矯正を思い悩むもう一つの要因。
「先生、抜歯もするんですよね。親不知じゃなくて。矯正だと抜歯するのが多いみたいですけど」
健康な歯を抜くのはなかなか耐え難い。ボルトに加えて抜歯ってきついよ。
と、先生はちょっときょとんとした顔をした。
「ああ、でもあなたの場合はしないほうがいいと考えてます。それをすると、かえって歯茎が露出しちゃうんじゃないかと思うんですよねえ・・・」
なに!?
歯茎が露出!?
勘弁しろよ、前歯が下りても笑ったら歯茎が剥き出し・・・。
しかし、衝撃的な話が続く中で、これだけは唯一救われる話であった。
結果的に「やはり抜歯」という可能性も否定できないと思いつつ。
もっとも、先生の口ぶりでは親不知の抜歯は不可避のようだ。
外にでてるヤツはいいんだけど(簡単に抜けるという)、下の一本は埋伏水平歯なんだよね。反対側のヤツを20代のころに抜いてますが、かなり辛かった。
歯茎を切開して抜くんだが、取れなくてさー、最終的に中で砕いて取り出したんだよね。もうすんごく怖かったわー!あれ、またやるんですかあ?(涙目)
その後、診療部長が同席して、ワハハハまあこんな感じですわ、今日決断することはないのでゆっくりご検討ください的な話で、締め括られた。
……病院を出た足取りは重かった(おまけに暑かった)。
頭の中でいろんな思いが交錯する。
アンカーインプラント(ボルトね)は、十年ほど前に日本で認可が下りた比較的新しい治療法なのだという。それ以前は、ヘッドギアみたいなのをつけて、それで一生懸命歯を引っ張ったそうだが、患者さんの負担もそこそこあり、その割に効果はどうだろうみたいな感じだったとか。
そういえば、以前受けた検査のときに、夜に帽子みたいなのを被ってもらいますみたいな説明をされたことがある。あれはこのことだったのだな、と思った。
ボルトか、それとも治療しないで流れに任せるか。
ただ、流れに任せるといっても、既に咬合性外傷とモノの噛みにくさはあるわけで、それが悪化していくのをだましだまし耐え忍ぶ生活と同義である。
やっぱり、やっても地獄、やらなくても地獄じゃん!?
どうすべえー、どうすべえー、と唸りつつ、この一か月であれこれ調べて結論を出すことにした。
ボルトでも小さいほうのスクリュータイプという呼ばれるものは、固定力は多少劣るし抜け落ちやすいという欠点もあるけど、埋めたり抜いたりという施術はそれほど辛くないという記事をあちこちで読んだ。それに比べて、プレートタイプはやっぱり大変みたいである。
先生はプレートタイプで考えているようだったが、「小さいほうでもいけるかも……」と言っていた。確かに言ってたとも、空耳じゃないとも!
そんなわけで、今のところ、まだ結論は出てない。
一か月後、どんな結論を出してるだろう。
苦悩はまだまだ続く。
☆Author:B2