意識という不思議なもの(1)
- 作者: スーザン・ブラックモア,筒井晴香,信原幸弘,西堤優
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2010/02/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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例えば、ンケキヨさん(なぜンケキヨさん……)に誘われて、某茶房に出かけたとする。
その茶房は、美味しいお茶を淹れてくれるというので評判が良い。
橙色の灯りが点る和風テイストの店内で、どっしりとした木のテーブルに座って(キョロキョロして)いると、茶葉とお湯、耐熱ガラスの急須、そして陶製の湯のみが運ばれてくる。
ンケキヨさんが、お湯を湯のみに入れる。
煎茶の場合、お湯は少し冷ましてから淹れたほうが美味しくなる。
寡黙な中にも、ンケキヨさんはどこか得意げだ。
急須に茶葉を入れ、さらに湯飲みのお湯を注ぎ入れる。
そのまま蒸らすこと少々。
温まった湯飲みに、急須からコポコポとお茶を注ぐ。
ふんわりとした茶の匂いが湯気とともに空中に漂い、鼻腔の奥をくすぐる。
「ああ、良い匂い……」
しみじみと呟くと、ンケキヨさんも、満足そうにそっと頷く…………。
さて。
このとき感じた匂いはどういうものかと問われたら、誰だって、「そりゃ茶の匂いだよ」と答えるだろう。
煎茶なのかほうじ茶なのか、はたまたどくだみ茶なのかの区別はできなくとも、それがカレーやもつ鍋のニオイではないことは、茶というものを知らぬゴジラやスピカ星人(謎)や地球外生命体じゃなければわかるだろう。
駄菓子菓子。
ンケキヨさんと自分が感じた茶の匂いは、果たして同じものなのだろうか──?
別の例を上げよう。
ンケキヨさんと自分の前に、赤いリンゴが出されたとする。
二人とも、そのリンゴを見て、「ああ、赤いリンゴだね」と思う。
けれど、ンケキヨさんが捉えている「赤」と、自分が捉えている「赤」の感じは、同じものなんだろうか。
実は、ンケキヨさんは緑色を指して赤と言っているのかも──。
真夏のうだるような暑さが抜けて秋の風が吹いたときに感じる清々しさ。
公園をぷらぷら散歩しているときにどこぞから聞こえてきた心弾むようなクラリネットの音色。
よく干した洗濯物を取り込んだときに感じるほわっとした手触り……。
そういった匂い、手触り、音、色などに対して持つ主観的な感覚のことを、『クオリア』と呼ぶらしい。
むろん、物理的には説明可能だ。
例えば、ンケキヨさんをひっぱたいたとする(なぜンケキヨさん……)。
すると、脳の神経細胞を通じて電気信号が走る(らしい)。
が、それはただの電気信号であって、「痛いという感覚」そのものではない。
こっちはボディコミュニケーションくらいの感覚で叩いたつもりなのに、ンケキヨさんはミサイル攻撃でもされたかのごとく感じるかも知れない。
実際のところ、ンケキヨさんの痛みの感覚は主観的なもので、同じ痛さをこっちも感じるかどうかはわからない。
それが『クオリア』であり、科学における超難問だということだ。
……次回に続く(……かな)。
☆Author:B2